近況:小野とインドとBPO

2020/11/20の今日は24度もあるそうで、まるで始まったと思った冬が早々に手仕舞いして春が訪れたかのような錯覚に陥った。37歳の年寄りには夏と冬は各1ヶ月もあれば十分だからこれで全く問題ないのだが。


ここ半年位ずっと何らかの記録をつけようと思いつつ腰が重かったのところ、最近は自分の人生にとって大きな出来事が立て続けに起こり、さすがに今記さないとしばらく行動しなさそうだったので、シンプルに今をまとめてみることにした。
 
まずは2016/7/14から4年間経営してきた株式会社グッドグリーンを譲渡した。
リアルビジネスかつ既存B2B市場という領域で、VC調達が難しかったり、数字が跳ねないもどかしさを常に抱えていたものの、ストック売上はほぼ48ヶ月ずっと右肩上がり、コロナにもほぼ影響を受けない業績で堅実に経営してきた。概ね継続顧客数は今年で1000社位か、利益率も良くなったし、給与も毎年増やせてこれた。もう少しリスクを取って攻めても良かったのかもしれないが、ビジネスは結果が全てでwhat ifに意味はない。
実は自分が会社を売却することは2020年に差し掛かるまでは一度も考えたことがなかった。難易度は高いものの多角化からのIPOすら考えたこともあったが、様々な要因を踏まえて今が新しいフェーズに移行するタイミングなのだろうという結論に行き着いた。他の会社のことはわからないが、三歩進んで二歩下がるといった自社のスピード感に歯がゆさを感じていたことが大きかったのかもしれない。そのタイミングで偶然相性の良い企業と巡り会えた。
 
売却後は様々なトラブルが起こりがちなPMIだが、事業は好調で社員の労働環境も良くなったことに素直に安堵した。一方、それなのに自分自身はというと、気持ち的にはほぼフリーのはずなのにどうやら謎のストレスを感じていた(もしくはそれまでのが蓄積していた)らしく、不眠症になるだけでなく、体調まで一時的に悪化していた。
それとは無関係だと思うが、今でも周りで事業を続けてる経営者友達を意識すると、自分がビジネス戦線から離脱したことに対する、僅かだがうっすらとした寂しさと情け無さを感じる。いずれにせよ来年また戦線復帰すれば、それもすぐに風化するだろうが。
もう一つ、これは前職の事業部長を退いたときもそうだったが、自分がいなくなっても平然と会社が問題なく回り続ける状況は、本来なら良いことのはずなのに気持ちとしては寂しいものだ。
人々の記憶の中に自分は本当に存在していたのだろうか、というやや根暗な感情が素通りしていく。
 
と、仕事しかほぼしてなかった毎日から一変、自分の感情をゆらゆら考察する余裕が出来たと思ったら、自分の人生で最も大事な親友が亡くなったことを知る事になる。本当に大事な友達は家族と同じかそれ以上に貴重な存在だ。
同年齢の小野は、その反社会的勢力にいそうな見た目とは裏腹に繊細な性格で、しばしば殻に閉じこもることがあったが、それも数ヶ月経つと電話がかかってきていた。
最初に顔を合わせたは小6のときだったが、実際にコミュニケーションが始まった中2の進学塾では、STAP細胞の子と小野と俺は同じクラスにいた。2年目で成績が大分落ちこぼれてきていた自分は、何かにつけて自分を上回る小野を追っていた。
物心つく時代における互いの冷め切っていた家庭、荒れていた感情を共有出来る相手は、いきなり日本一位という成績を叩き出し、自分など眼中に入らない位の圧倒的な異才を放っていた。
そこから俺たちは互いに切磋琢磨の相手にもなっていた。と、言うと響きが良いが、単に俺が劣等感を燃料に引き上げてもらっていただけである。
 
そういえば何度か骨折させられそうになった事もあったが、気持ち悪いことに、その相手を憎むことはなかった。髪を染めたり、毎月のテストの後にカラオケに行ったり、ギターや携帯電話を買ったり、酒を飲んだり、高校のときは渡米もしてみた。アルマーニの服なんかも真似して買ってみた。ここに書ける内容だけでも無数にある。
追いつきたくてもどこか追いつかない絶妙な距離は不思議と不愉快なものではなく、小野と俺との関係を両者が納得しやすいものにしていたのかもしれない。大体20代後半になるまでそんな感じだった。
お互いに気が落ち込めば浴びるほど酒を飲みながら連絡を取り、そして相手に話せば自分の怒りやかったるさが浄化されるのが初めから分かっていた。ずっと俺たちは不満を語り続けていた、今の自分が常に好きになれなかったから。自分自身との和解を提案するのは常に電話がかかってきた方だ。
そういえば、30台になって最近はアリ/キリギリスの血液濃度がわずかに多かった自分の方がアイツよりも先を走っていた自負があるのだが、小野は勝ち逃げしたから多分そんなことは知らない。これは長年の競争者として地味に困るものだ。
 
もしかしたら俺自身のことは、俺よりも小野の方が知っていたのかもしれない。そんな相手は俺よりも二回りも体格が良い上に医者のくせして、心臓の病で自分が気付くべきタイミングよりも一年も早く亡くなっていた。スマホがロックされると30年近く続いた親友の死を知るのに300日もかかっちまうのはITで便利になる世の中では皮肉めいている。
最大の親友がこの世を去ったときに人は何を思うか。普通ならその存在がこの世からいなくなることにシンプルに喪失感を覚えるのかもしれないが、小野の死を認識した時真っ先に感じたのは、自分自身の一部が世の中から消え去った事だ、小野と共に。これはとても不思議な感覚だ。
これを書いている今も、1割くらいの可能性で、実は俺がアイツに騙されてて、実は生きているんじゃないかとかふと脳裏をよぎるのだが、考えると面倒なので死んだ前提で考えておく。悪い方で前提を考えておく方が無難だからだ。
 
ただ唯一、俺に解せないことがあるとすれば、あんな大層な奴がいなくなったのに、世の中は何事もないように動き続けていることだ。ご愁傷様やRIPといった言葉が、悲しいことに自分にはhow are youからのI’m fine thank you程度にしか響かなかった。大事な友人を失ったときの正しい表現は何だろう。何を考えても100%にたどり着けない。
収拾がつかないのも困るので、いつしか自分のアタマはこう考えるようになった。小野がいなくなった事で自分がついに完成したんだと。今まで、ここまで引き上げてもらった自分が、ようやくあいつに追いついたから、あいつは役目を果たして何処かに行ったんだろうと。もしそうだとしたらマフィアの見た目をした妖精みたいで実にキモい。
まあ、そんなところだ。俺のアタマの中にも、アイツの性格を再現できる位の記憶が詰まっている。何か判断に困ったとき、相談したくなったら、自分の記憶の中にいる小野に回答をもらうこと位はそんなに難しくないだろう。もう少しだけ働いてもらおうと思っている。
 
さて、会社売却後の引き継ぎもほぼほぼ終わり、自分は来年の8月にまた起業を考えている。今度はBPOという領域だ。会社売却の目的は人それぞれだが、正直、自分にとっては事業をやるために事業を売却するというのが結論としてそれに該当していたように思える。
ゴルフもしないし車にも興味がない。面白い人と、面白い事を、120%夢中でやる。死ぬほどのめり込みたい。そして2回目の事業は更に自分が社会の役に立つことをやりたいと思っている。感謝されるにこしたことはないけど、それよりも自分が役に立っている実感を持てることが、幸せという万人にとってのKGIに対する大きなKPIになるだろうから。
 
でもその前に、友達が役員を務めるシンガポールのペットベンチャーのインド支店をちょっと手伝いながら、社労士の勉強と、あとはひたすら筋トレでもしながらしばらく2021年はインドにいようと思う。
全く好きになれない国なのに、これで渡航も3回目だから人生は面白い。2回目はインド人の親友の結婚式だったが、あいつも変わってないんだろうな。会ったときにどんな顔をしていて、どんな一言をかけてくるかまで想像がつく。彼もそうだろうか。
友達や家族の存在こそが自分の証明になるのかもな、、とか考えだすとキリがなくなるので、今日はここで終わりだ。